上下游新聞 – 取材を終えて

しあわせ=?

 

囲炉裏端で、ビールを飲みながら、少し酔っ払った男が関西弁で私に聞いた。

「じゃあ、しあわせって何?」

私は、即答できなかった。

これは、取材初日の夜、美作市上山で元地域起こし協力隊の方と飲んでいた時のことだ。そのとき、私は何か苦し紛れに返答したが、何と答えたのかあまり覚えていない。この取材中、この男の言葉がずっと頭から離れず、たえず私に問いかけていた。

今回の取材は、9日間岡山県内に滞在し、地方創生が行われている現地に赴き、 移住者を主に、地元の人々や自治体、にも取材を行った。

私自身、8年前台湾人の妻との結婚を機に、日本から台湾へ移住している移住者である。なので、今回の取材は、同じ移住者としても、とても楽しみにしていたし、今日本の田舎で何が起こっているのか自分で直接見たり、聞いたり、触れたりすることができる貴重な機会だった。

私は、東京生まれ東京育ちだが、東京はあまり好きではない。人が多すぎて、目眩がする。それよりは、田舎の方が落ち着くので、好きだ。東京には、田舎にない華やかで刺激的なものがたくさんあるが、田舎には東京にはない、人が生きる上で最も基本的でかつ大切なものがある。それは、水であり、土であり、空気であり、食料であり、日本の原風景がそこにはある。

しかし、田舎には、仕事がない。そこで、若者が仕事を求めて、都市部に流出し、少子高齢化になり、過疎化へとつながっている。

そこで、現在全国で活躍しているのが、地域おこし協力隊である。

27年前にも、地方創生のため、ふるさと創生事業という名で、各市町村に1億円がばらまかれた。が、失敗に終わった。今回は、人をばらまいている。しかも、若者だ。いろいろな批判もあるが、私個人としては、機能しているし、いい制度だと思う。

彼らは、地域への貢献はもちろん、 何が自分にできるのだろうかと挑戦しているようでもあった。やりがいや生きがいをその地に求め、やってきたのである。

今回、多くの現地域おこし協力隊または元地域おこし協力隊に会い、話をしたが、みんな、情熱と信念を持って、活き活きと自分の言葉で話していたのが印象的だった。近年、日本の若者の無気力化が叫ばれる中、このような若者がいることが誇らしく思うし、まだまだ日本の若者も捨てたもんじゃないなとうれしくも感じた。

また、東日本大震災を機に、都会より田舎へ越してきた移住者も、その地で起業し、田舎に仕事を生み出していた。移住者は、仕事を作るために田舎に来たのではなく、田舎に幸せを求めて、移住してきた。そして、そこに仕事がないのであれば、自ら仕事を作ればいいと、仕事をつくってしまったのである。

移住者みんな、目がキラキラしていて、笑顔が素敵だった。独身者、既婚者、子供がいる人、みんな各々人生を楽しんでいたように思えた。

結局、取材滞在時には、しあわせの答えが見つからず、帰国後、 再度 “しあわせ” について考えた。

しあわせ=お金、しあわせ=仕事、しあわせ=健康、どれも大切だが違う 。私が一番しあわせを感じるのは、家族と過ごしている時だ。では、しあわせ=家族かと言われると、100%ではない。家族が一番大事だが、家族以外なにもいらないというわけでもない。

 仕事も友達も健康もお金もやはり必要だ。

実際日本では、家族のために働いて、家族のためにお金を稼いでいるにもかかわらず、 家族と過ごす時間がない親も多い。早朝出勤し、夜遅く帰宅。子供の寝顔しか見ることのできない父親も少なくない。

私は、大学卒業後、サラリーマンとして働き、30才を過ぎてから、ようやくの自分の人生について真剣に考え出し、35才でイギリスへ写真家になるために留学した。そして、台湾人の妻と出会い、今台湾で写真家として活動している。今、しあわせか?と聞かれれば、もちろんしあわせと答える。好きなことを仕事として、愛する家族と暮らせるなんて、幸せ以外何者でもない。

じゃあ、しあわせってなんだ?

私が考えるしあわせは、希望である。

今回取材した人々は、新しい環境で新しい仕事、そして希望に満ちた生活をおくっている人ばかりだった。笑顔も素敵で、取材しているこちらまでも、しあわせな気分にさせてくれる人々だった。彼らには、 将来への夢や希望があり、そしてその陰には、 葛藤や失敗、 実現するべく苦労や努力があり、そこには各々の人生、各々のしあわせがあった。 この新たな移住の地は、彼らにとって、まさに希望の地でもある。

今回の取材を通じ、改めて自分自身のしあわせについて考えさせられ、また、明日に向かい、希望をもって、前に進んでいく勇気と力さえも頂いた。

スイスの哲学者、カール・ヒルティがこんなことを言っている。

” 寝床につくときに、翌朝起きることを楽しみにしている人は幸福である。”

 

幸福=?

 

圍坐在地炕的一角,一邊喝著啤酒、顯得有些醉態的男子用關西腔問我:

「那麼、你認為幸福是什麼?」

我沒有辦法立刻回答。

這是在第一天採訪的夜晚,和美作市上山的前地域振興協力隊隊員一起喝酒時發生的事。那時逼不得已,我雖然給出了答案,但到底講了什麼,已經記不太起來了。在採訪過程中,男子的話語一直在我的腦海中縈繞,不停的向我拋出問題。

這次的採訪,總共在岡山縣待了九天,拜訪地方創生的現場。採訪對象以移居者為主,也採訪了在地居民跟地方政府。

因為八年前和台灣女生結婚的關係,我從日本移居到台灣,也是個移居者。因此很期待這次採訪,能夠見到同樣身為移居者的人。這也是能夠親身體驗,現在日本的鄉下究竟發生什麼事的大好機會。

我雖然在東京出生長大,但對東京並沒有好感。東京住了太多的人,令人頭暈。相比之下,我較喜歡安定沈穩的鄉下。東京雖然充斥著鄉下沒有的絢爛和刺激,但鄉下擁有東京沒有的、人類生存所需最基本、最重要的事物。那就是水、土壤、空氣、食糧,也有日本的原風景。

但是,鄉下欠缺工作機會。因此年輕人為了求得一份工作,必須往都市去,造成鄉下的少子高齡化、過疏化。

但現在,活躍於全國各地(鄉下地方)的,就是地域振興協力隊。

27年前為了地方創生,國家推動「故鄉創生事業」,補助各市町村一億日圓。但,最後以失敗告終。這次補助的是「人」,而且是年輕人。雖然有許多批判,但我認為,協力隊確實有發揮機能,是個很好的制度。

他們不只貢獻地方,也想要挑戰靠自己完成一些事。在當地找尋有意義的工作與自身地生存價值,並且一步一腳印地實行。

這次拜訪許多現任與前任的地域振興協力隊,每個人都充滿熱情和信念,生氣勃勃的闡述自己的想法,令人印象十分深刻。近年,許多人說日本的年輕人越來越失去力氣,看到這些年輕人我不禁感到十分驕傲,日本的年輕人還是充滿希望的,覺得很開心。

另外,因為東日本大地震,從都市搬到鄉下的移居者也在當地創業,在鄉下創造出新的工作。移居者並不是為了創造新的工作而搬到鄉下,而是為了求得幸福的生活,選擇了移居。既然當地沒有工作的話,那乾脆就自己來吧—因此創造了新工作。

每個移居者,眼睛都閃耀著光芒,笑容非常美麗。單身的人、結婚的人、有小孩的人,大家都在享受各自的人生。

結果在採訪過程中,仍然找不到幸福的答案,回到台灣後,我再一次思考,到底什麼是「幸福」。

幸福=金錢、幸福=工作、幸福=健康,不管哪個都很重要。我感到最幸福的時刻,是和家人在一起的時候。那這麼說,幸福=家人嗎?似乎又不是100%。家人是最重要的,但並不是只要有家人就好,其他的都不需要。工作、朋友、健康、金錢還是必須的。

在日本,為了家人拼命工作賺錢,但鮮少和家人在一起的家長很多。許多父親一大早出門上班,晚上很晚才到家,只能看到小孩的睡臉。

大學畢業後,我成為上班族,過了30歲,才終於認真思考起自已的人生,為了成為攝影師,35歲到英國留學。然後,遇到台灣女生,現在在台灣當攝影師。現在,如果你問我幸福嗎?我會說當然幸福。做喜歡的工作、和心愛的家人一起生活,還有比這更幸福的嗎?

那麼、幸福是什麼呢?

我認為幸福代表了希望。

這次採訪遇到的人,都是在新的環境從事新的工作、過著充滿希望的生活。進行採訪時,不知不覺也被他們燦爛的笑容影響,心裡充滿了幸福。他們描繪著未來的夢想與希望,在背地裡,也有許多糾葛和失敗,還有付出的辛勞與努力,每個人的人生,都有不同的幸福。移居的新天地對他們來說,可說是希望之地。

透過這次採訪,重新讓我思考了什麼是幸福,並帶著希望面對明天、甚至還得到了向前邁進的勇氣和力量。

瑞士的哲學家希耳提(Carl Hilty)說:

”躺到睡床的那一刻,能夠期待隔日起床的人是幸福的。”