2018.07.27 (fri) – 08.05 (sun)
opening reception 07.27 (fri) 18:00 – 20:00
tokyoarts gallery ( 東京都渋谷区東2-23-8 )
人の記憶とは何だろう。少なくとも過去に起きた思い出の集合体だ。楽しかった幼少期、恋人との別離、刺激的な体験、異質な文化との遭遇、人生にはまさに波のように起伏が生じる。波頭のひとつひとつが記憶であり、記憶のひとつひとつが集まり波となる。近藤は波に特別な思いを寄せるとともに、ひとつひとつの波頭に人生の思い出を重ね合わせている。(tokyoarts gallery)
この作品は、私の記憶である。 子供のころ、夏になると一つの楽しみがあった。家族旅行だ。海沿いのホテルに家族みんなで行く。毎年、同じ南九十九里にある白子のホテルに泊まっていた。ロビーには赤絨毯が敷いてあり、大きな振り子の時計が1階と2階の間の階段の踊り場にある少し古めかしい内装だった。子供の頃は、夜でも1時間毎に大きな音が鳴るその時計が、怖くて仕方がなかった。 ホテルにはプールもついていたが、やはり海で遊ぶのが楽しかった。朝から晩まで海で遊んだ。夕食のあと、父がみんなを連れて、夜の海を必ず見に行く。ホテルから海まではすぐ近く3分程度。青い蛍光灯の街灯に照らされた海へ続く細い一本道を歩いて行く。海は見えないが、すでに海の匂いや波の音が聞こえ、すぐ近くだと感じる。歩いていくと、舗装された道から、砂の道へ変わる。波の音がより大きくなっているが、海はまだ見えない。道の最後には、砂浜に出るための砂の傾斜があり、それを登って、砂浜にたどり着く。この瞬間が、いつもドキドキする。父の手を握りしめる。登りきっても、海は見えない。見えているはずだが、見えない。真っ暗だ。すさまじい波の音だけが聞こえる。怖い。しばらくすると、目が慣れはじめ、波の白い泡が見え始める。徐々に海に近づいてみる。泡が上から下へ叩きつけられ、ぱーっと大きく広がり、こちらに近づいては遠のき、なくなっていく。近づきすぎると、泡にさらわれ、海に足から引き釣りこまれそうだ。 昼間見た海とは、全く別の海。昼間は、太陽に照らされ、青くキラキラと輝き、私達を迎えてくれた海。今は、絶対的な力を見せつけ、誰も寄せ付けようとしない。暗闇の中、絶え間なく鳴り響く波の音。目の前には、白と黒の世界。いつの間にか、怖さも忘れ、その神秘的な姿に吸い込まれる。一刻、一刻移り変わるその表情に、目が離せない。まるで別世界に来てしまったかのような異質な光景。私は、圧倒的な力を前に、ただただ無心になって、その海を見続けていた。 今回の展示は、通常の写真展示とは別に、インスタレーションを用い、より体感できる空間をつくっています。目で見るだけでなく、私の記憶の中に入り、夜の海を体験してほしい。